バレーボール日本代表として注目を集める高橋藍(たかはしらん)選手。「ハーフなの?」と話題になることも多いようです。甘いマスクと華やかなプレーが魅力的ですよね。
今回は高橋藍選手の家族構成や兄弟との関係、さらに幼少期からの驚きの身体能力についてもまとめました。知れば知るほど魅力が増す、高橋藍選手の素顔に迫ってみましょう。
高橋藍はハーフ?噂の真相をチェック!
高橋藍選手の整った顔立ちを見て「ハーフなの?」と思った人も多いはず。実はハーフではなくクウォーターなんです。父親は日本人、母親はアメリカ人と日本人のハーフ。
そして母親の父(高橋藍選手の祖父)は、イギリスとドイツのハーフで国籍はアメリカという国際色豊かな経歴を持っています。兄の高橋塁選手が自身のSNSでこうしたルーツを明かしています。
多国籍ルーツが生み出す華やかな魅力
高橋藍選手には日本・アメリカ・イギリス・ドイツ、4つの国の血が流れていることになります。この背景が、彼のミステリアスで華やかな雰囲気や、写真映えするオーラにつながっているのかもしれません。
試合中の真剣な表情と、ふとした笑顔のギャップも魅力を引き立てています。プレーする姿が、より絵になるのも納得ですね。
子どもの頃から運動神経バツグン!
高橋藍選手は、小さい頃から「何でもできちゃう」タイプの運動神経の持ち主でした。
実際保育園のサッカー大会では、相手からボールを奪い、そのまま華麗にドリブルで駆け抜けてゴールを決めるなど、行動力も抜群。
さらに公園でキャッチボールをすれば、幼稚園児とは思えない遠投を披露。鉄棒の逆上がりや前転なども兄より先にできるようになり、家族も「何をやらせても上手くなる子だな」と感じていたといいます。まさに、天性のアスリート資質の持ち主だったのですね。
バレーとの出会いは「遊び心」から
高橋藍選手がバレーボールと出会ったのは小学1年生の頃。何も教わっていないのに、いきなり上からサーブを打ち込めるという驚きの才能を見せ、当時のコーチの目に止まります。しかし当時の高橋藍選手は、新しいことを始めるのはあまり気が進まないタイプ。
そこでコーチが考えたのが「ポケモンカード作戦」でした。体育館までの道にカードを落としていき「バレーをやるなら全部あげる」と誘い、高橋藍選手はバレーをすることを決めたそう。
こうして高橋藍選手の生まれ持った身体能力がバレーボール人生へとつながっていきました。
中高時代に磨かれたプレースタイル
中学校に進学した頃の髙橋藍選手は、身長158cmほどでまだ高身長ではありませんでした。1年生ではリベロとして兄・塁さんがエースを務めるチームで全国大会に出場。兄の引退後はアタッカーへ転向し、自らも全国大会へと駆け上がります。
高校は兄と同じ東山高校へ進学し、1年生では兄とともにプレー。3年生でキャプテンに就任すると、仲間を引っ張りながら念願の春高出場を果たしました。この中高時代の経験が、今の高橋藍選手の強さとしなやかさを支えているのでしょう。
高橋藍を支える家族
高橋藍選手は、父・母・兄・妹の5人家族です。家族が仲良く支え合いながら、個性を大切にしている温かい家庭のようです。スポーツ好きの両親の影響もあり、兄弟は幼い頃から切磋琢磨しながら成長してきました。そんな家族について紹介します。
野球好きな父親
父親の政次さんは野球が大好きだそうです。高校球児だった頃はエースで4番を務める実力者でした。その活躍ぶりはプロのスカウトマンが視察に来るほどだったとか。
バレーボールの経験はないものの、運動神経は抜群だったようです。そんなスポーツ万能な父の背中を見て育った子どもたちは、自然とスポーツに親しむ環境の中で成長していったのでしょう。
母親はテニス経験者
母親の小百合さんはアメリカと日本のハーフです。学生時代は軟式テニスの近畿大会に出場するほどの腕前を持つスポーツ女子でしたが、怪我のため選手生活は断念。その運動神経の良さは、高橋藍選手や兄弟たちに受け継がれているのだと思います。
子どもたちの自主性を尊重しながらも、しっかりと支えて成長を見守っていたようです。高橋藍選手が「どうやったらバレーボールをやめられる?」と泣いて訴えたときも続けることの大切さを伝え続けたそうです。
兄と妹との絆
2歳年上の兄・塁選手とは小さい頃から一緒にバレーボールを続けてきた仲。兄弟そろって日本代表に選ばれた姿は「尊すぎる」と話題になりました。YouTubeで活動する様子や家族の誕生日を一緒に祝う姿からも、仲の良さが伝わってきます。
また、3歳下の妹の莉々さんは一般の方ですが、SNSに時々登場し、かわいい笑顔をみせています。彼女もバレーボールの経験者でもあり、兄たちの活躍を温かく応援しています。
ユニークな名付けエピソード
高橋藍選手と兄、妹の3人の名前には、父親の野球愛がたっぷり込められているそうです。兄の「塁(るい)」は「野球の塁(ベース)」から、藍(らん)は「ホームラン」の「ラン」。そして莉々(りり)は「リリーフ投手」にちなんで名付けられたとのこと。
また、国際色豊かな母親は、将来子どもたちが海外で活躍する場面を想定したといいます。発音しやすく、覚えてもらいやすい名前にしたいという思いも込められているそうです。3人とも、とてもユニークで素敵な名前ですよね。
兄の影響で始めたバレー
高橋藍選手がバレーボールを始めたのは、小学校低学年のとき。兄・塁選手が先にバレーボールを始め、高橋藍選手もそれに続きました。兄弟は小・中・高と同じチームでプレーし、今ではサントリーサンバーズ大阪でも再びチームメイトに。
幼い頃から刺激を与え合ってきた2人は、今や仲間でありライバル。兄の影響で踏み出した一歩が、プロとして肩を並べて戦う今につながっています。
まとめ
高橋藍選手はハーフではなく、国際色豊かなクオーターでした。幼少期から抜群の運動神経を持ち、兄・塁選手の影響でバレーボールを始め、現在は兄と同じチームで活躍中。両親からの愛とサポートを受け、兄妹で絆を深めながら成長したようです。
華やかなルーツと努力が織りなす魅力が、多くのファンを惹きつけています。今後の活躍もとても期待できそうですね。